慶應義塾大学日吉キャンパスの学生の間で、「ひようら」という言葉が使われることがあります。
これは、日吉駅周辺の商店街や飲食店街を指す造語です。
「ひようら」の「ひよ」は日吉、「うら」は「裏」。つまり、「日吉の裏」という意味なんですね。
では、「表」は何なのでしょうか。慶應の学生が使っている言葉ですから、答えは当然、「慶應義塾大学日吉キャンパス」ということになります。
つまり、大学が「表」で、駅商店街は「裏」ということになるんです。
私は、正直この「ひようら」という言葉はあまり好きではありません。「表」「裏」という言葉選びに、慶應生の驕りが見えるからなんですね。
「俺達が通っている大学が表に決まってる、駅商店街はもちろん裏だ」という感じ。
昭和時代の日本には、「裏日本」という言葉がありました。今は、「日本海側」と言いますが、当時は「表」が太平洋側で、「裏」が日本海側だったんですね。
太平洋側には大都会がたくさんあって華やかだけど、日本海側は田舎が多くて、冬はどんよりしている。そんなイメージによって生まれたのが、「裏日本」という言葉です。
これも、太平洋側の人間、特に東京・大阪などの大都市圏の人たちが、開発の進んでいない日本海側を下に見ていたという証拠です。
流石に今の時代に「裏日本」という言葉を使う人はほとんどいませんが、「ひようら」は相変わらずよく使われているみたいなんですね。
まあ、日吉駅商店街の人たちも慶應生のおかげでかなり稼いでいる部分もあると思いますし、それは昨年の新型コロナ大流行で身に染みて実感したはずです。
でも、だからといって慶應日吉キャンパスが「表」というのはどうなんでしょう。どちらも同じじゃいけないんでしょうか。何でもかんでも階級やヒエラルキーを作れば良いってものではないと思います。
あと、私は「慶早戦」という呼び方も苦手です。まあ、こちらは一部の学生以外はほとんど使ってないので、どうでも良いことでもありますが。