今日(2021年9月7日)の日経朝刊の「教育」というコーナーに、ある都立高校の方がインタビューに答えている記事がありました。
そこでは障がいやルーツ、家庭の事情などが原因で通常の学校教育では躓いてしまう人でも、地元で学び、働くことが実現できる環境を整えるため、高校の校長先生が奔走されている様子が紹介されていました。
記事中にあった言葉で印象に残った言葉があります。それは「合理的排除」という言葉です。
これまでの学校教育では、単位を認定する仕組みなどは全生徒一律に運用する必要があり、さまざまなハンディキャップを抱える生徒は「合理性」の名の下に学校教育の場から排除されてきました。記事ではこのような現状を「合理的排除」と呼んでいました。
最近ではハンディキャップを抱える人でも勉強をしたり仕事をしたりするために、「合理的配慮」と呼ばれる施策が必要であることが叫ばれています。
その一方で、多数派に迎合することが良しとされてきた時代が長い日本では、未だに「合理性」を理由に、少数派に対するケアを怠っている学校が多く存在しているということなのでしょう。
この「合理的排除」に関わる問題は、何も教育に限った話ではありません。
企業の就職試験について考えてみましょう。就職試験では、「適性検査」を課す企業が非常に多いです。
適性検査では「能力検査」と「性格検査」という2つの検査を行うことが多いですが、なかでも「性格検査」がくせ者です。
性格検査は、応募者個人の性格を見るために行われている試験だと考えられますが、質問事項を見ていると何か引っかかるのです。
「気分の浮き沈みが激しいですか」「新しい環境に適応することが苦手ですか」等々。性格検査を経験したことがある人なら分かると思いますが、質問の中には明らかに精神障がい、もしくは発達障がいを持つ人をふるいにかけることを意図したものが含まれています。
「うつ病の人はすぐ休むから、できれば雇いたくない」「発達障がいの人は、扱い方がよく分からないから不採用にしたい」企業側は色々な理由を使って理論武装をしようと試みるでしょうが、これこそ「合理的排除」でしょう。
国が「一億総活躍」を唱える中、特定の属性を持った人を「合理性」を理由に排除する。これほど時代に逆行している行為もそうそうありません。
しかもこれが無名の中小零細企業とかではなく、誰でも知っている大企業で公然と行われている。これが我が国の現状なのです。
最近ではNHKを始めとするメディアの報道を見ていると「SDGs」という言葉を何回も見聞きすると思います。オリンピック・パラリンピックがあったから余計にプッシュされているのかもしれませんが、世界的に「誰一人取り残さない」施策が求められてきているのは確かです。
本当の意味での「合理化」が達成されるのはいつのことになるのか分かりませんが、日本の大企業にはぜひ「SDGs」の達成のため、誰一人取り残さない施策のお手本を拝見させていただきたいと思っております。
少々乱暴な表現もあったかもしれませんが、今日の日経紙を読んで思う所があったので書き留めておきました。また面白い記事があれば紹介したいと思います。