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「地方都市最強説」は本当か?を考える

北海道・札幌

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「地方都市最強説」の勃興

私は今まで、「地方都市最強説」という説を提唱していた。

それは、地方都市(ここでは、札幌や仙台、名古屋、大阪、広島、福岡など、各地方の中心都市を指す)に住むことが、首都圏に住む場合よりも合理的であるという話である。

その理由として主に私が考えていたのが、

物価(特に家賃)が安い

②首都圏には劣るが、地方都市でも生活・娯楽に支障がない

「リモートワーク」が普及しつつあり、東京でしかできない仕事が少なくなっている

以上の3つだ。他にも挙げれば多数浮かび上がるが、きりがないので3つだけとする。

地方出身(県庁所在地にも満たない田舎)で、これまで数年間首都圏に暮らしてきた私は、「東京が第一」「田舎から出るならとりあえず東京」という考え方に疑問を抱いていた。

高度経済成長期ならともかく、成長が止まり、豊かさを享受することも難しくなっている中、東京にこだわる必要はないのではないか

かといって、生活に車が必要だったり、娯楽がほとんどないところは不便だ。

なら、間を取って「地方都市」に住めば良いじゃないか!というのが私の「地方都市最強説」の始まりである。

住んで分かった「地方都市最強説」の矛盾点

それ以来、私は「東京にこだわるのは時代遅れ」「地方都市で身の丈に合った暮らしをするのが最善策」と信じて疑わなかった。

確かにこれらは正しい部分もあるだろうが、今年春から実際に地方都市(札幌)に住んでみてわかったことがある。

それは、「地方都市最強説」は理屈では成り立つかもしれないが、感情論的には成り立たないかもしれないということである。

感情論的に成り立たないということについて、もう少し掘り下げて説明したい。

まず前提として、居住する地方都市は、自分が今まで住んだことがない都市、あるいは地方であるとしておきたい。

つまり、例えば東北出身の人なら、仙台ではなく、名古屋や福岡など、今まで縁がなかった地域に住むということ。

ではなぜこんな前提条件を付けるのかというと、それが「感情」に大きな影響を与えるからである。

私たちはしばしば、「日本は単一民族国家」であり、「日本人は北から南まで同じ」と考えがちだが、実際は少し違うと思う

確かに国家や国籍、使用している言語は同じかもしれないが、そこにある文化や、人々の考え方、行動様式などは、地域によってかなり違いがあるはずだ。

そしてそのような違いは、首都圏では発生しづらい。首都圏は各地方から人が集まり、「人種のるつぼ」と化していて、個性が強調されづらいからである。角が取れているとでも言うべきか。

地域ごとに違う文化や行動様式などは、肯定的な文脈で語られることがほとんどだろうから、あまり意識することは少ないかもしれない。

ただ、今まで縁がなかった地方にいきなりやってきた人からすると、それは時として「奇怪」なものだったり、「不愉快」に思う材料になったりする。

そうしたことが派生して、感情に悪影響が生じ、酷い場合には地元民が嫌いになって社会から孤立したり、精神的に不安定になったりしてしまうのである。

私が今年春から住んでいる札幌を例に挙げてみる。

札幌では、スピードを出して車を運転したり、地下鉄で混んでいてもドア横に立っている人が普通にいたりと、車の運転や公共交通における行動様式が本州のそれとは異なっている

初めは正直不快感を覚えたり、怒りを感じたりしていたが、冷静になって考えると、札幌の地元民には悪気はないのである。それが当たり前と考えてそうした行動を取っている。つまり、それは札幌における「文化」なのだ

そうした文化は、当然首都圏にはないが、現に札幌にはある。

それを受け入れることができないと、いくら理論的には地方都市生活が合理的であろうとも、心身ともに健康に生きて行くことは難しいだろう。

こうして私は、「地方都市最強説」を揺らがしかねない矛盾点を自らの体験を通して見つけたというわけだ。今後も地方都市生活が果たして本当に合理的なのか、考えていきたいと思う。

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