今回はASD(アスペルガー症候群)を「アスペ」と呼ぶ文化について、考えたい。
ASD(自閉スペクトラム症)という障害は、かつては「広汎性発達障害」や、「アスペルガー症候群」などと呼ばれていた。
特に「アスペルガー」という名称は世間に広く知られるとともに、ASD的な特徴を持つ人を指す言葉として、「アスペ」という言葉も現れた。
「アスペ」という言葉は、しばしばASD要素を持つ人を蔑んだり、中傷したりする意図で使われることが多く、現在でもその文化は残っている。
しかしながら、発達障害当事者が進んで情報発信をするようになった昨今では、当事者あるいは支援者自らが「アスペ」を使うということも目立ってきている。
これはいったいなぜなのか?私が考える仮説は、
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「アスペ」が蔑称として広く使われていた時代を知らない
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蔑称として使われることも知っているが、自虐あるいはASD要素を「悪いもの」と表現する意図で、敢えて使っている
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「ASD」という言葉の知名度はまだ低いため、より知られている「アスペルガー」を選んだ(「アスペ」は、その略称として使っているに過ぎない)
「アスペ」がネット掲示板で積極的に使われていた時代は2000年代。
一応アラサーの自分はもちろん知っているが、10代、あるいは20代前半となると知らない人も多いだろう。
「敢えて使う」というのも、一理あるように思える。
ASD者はただでさえ自己肯定感が低く、自分を無意識のうちに卑下してしまうことがある。
それに加え、ASD者がよりASD要素の強い人を見ると、そのASDっぷりに不快感や違和感を覚えることがある。
支援者についても、ASD者を社会に適合させようとするためには、なるべくASD要素を薄めなければならないと考えるだろう。
それゆえか、ASD要素は「悪いもの」だと考えがちで、結果として「アスペ」という言葉を躊躇なく用いる土壌が形成されるのではないだろうか。
「略称として使っているに過ぎない」という仮説は、正直よく分からない部分が多い。
なぜなら、「アスペ」や「アスペルガー」という言葉を持ち出さずとも、「ASD」で済ませることができるからだ。
「ADHD」と比べて、「ASD」があまり知られていないのは確かだろうが、
それではなぜ発達障害に人一倍詳しい当事者や支援者が、進んで「アスペ」を使うのかが説明できない。
以上、簡単に「アスペ」という言葉の意味合い(略称か、それとも蔑称か)について考えてみた。
私個人的には、「アスペ」は蔑称として使うための言葉だと思っているけれど、純粋にASD者を指すための意図で使っている人もいるんだろう。
という結論で、今回は終わりにしようと思う。